欣欣の考え事

欣欣 (シンシン) です / 誤字脱字はご愛嬌

韓国っぽい体験した

 

 

 

今韓国でワーホリしてるんだけど、韓国来てからまじで友達できなさすぎて、言語交換アプリで出会った30代の韓国人の女の人と実際に会ったんだけどね

 


おしゃれなカフェ知ってるからそこに行こうって言われて、私の家からも遠くなかったからそこに行ったの

 


お姉さんと会って、カフェに行って、普通に世間話してたの


そしたら、お姉さんが占いを勉強してるのって言って私を占ってくれたの

 


本人は五行?って言ってたけど、名前と生年月日と生まれた時間から占う四柱推命的なやつで、私のことを占ってくれたの

 


あなたは、リーダーシップがあるが人からの視線に敏感で、色々やってみる方だけど初めは腰が重くて、好奇心はそんなに強い方じゃなくて、ストレスが溜まると胃が荒れる

 


って占い結果だったんだけど、私は割と後先考えず行動するタイプだし、好奇心は多分誰にも負けないし、ストレスで胃は荒れたことがないんだよね

 

(韓国人はよくストレスで胃が荒れる人が多いから、多くの人に当てはまることを言っただけみたい)

 


時間をかけて色々見ながら占ってくれた割には半分くらい外れてたけど、せっかく占ってくれたから半分くらい外れてるよとは言えず、私は占い結果に紐付くエピソードトークを頑張って探して、なんとかお姉さんの面を保って乗り切ったの

 

 


無駄に頭使ったから若干疲れたーと思って一息つこうとした時に、お姉さんが

「あなたにはこんな素敵な生まれ持ったパワーがあるのに、それを発揮できていないのは前世の怨念がついてるからなの」

って言い出したの

 

 

 

 


おっと、急に雲行きが変わったぞ。と思って話を聞いてたら、「あなたは前世でずっと上手くいったから、あなたのせいで1位になれなかった人たちの恨み嫉みがあなたについてるの」「輪廻転生で身体は生まれ変わるけど、魂は生まれ変わることなくずっと回っているの」「だから今あなたは新しい身体だけど、前世の怨念がついてるの」って言うの

 


恨みがついててこのくらい楽しい人生なら、恨みさえなかったらきっと私は広瀬すずとして生まれてたんだろうなーと思ってたら、「怨念を取り払うために茶礼をしてみたらいい」って言いだして茶礼の写真を見せてくれたの

 

 


先祖の写真の前に果物とかちょっとした食べ物とか並べる韓国っぽい写真が出てきて、「うわ!宗教っぽ!!!」と思ったんだけど、今調べてみたらこれは普通に韓国の文化だった 笑

 

 


「茶礼をしたら怨念が居なくなって、持ってるパワーをもっと発揮できるようになるよ」って言われて、私はその時に「人生初の!!宗教勧誘!!!」と思って怖さよりはワクワクが勝ってきたから、興味津々でどんなのか聞いてみたら、

 

食べ物並べて韓服着てお祈りするらしい、それだけらしい

 

 


割と難しい話をちゃんと聞き取り、相手の話の腰をおらないように適宜質問できている私の韓国語実力に自分で満足していたら、

「1年間日本で住んでて、その時にバイトしてた個人料理屋さんの店主と奥さんが前韓国に旅行に来た時に、茶礼のこと教えてあげて実際にやってみたら、その後商売が繁盛するようになった」ってお姉さんは話を続けるの

 


でも私的には宗教儀式が思ったよりしょぼくてちょっと萎えてたら、お姉さんが「食べ物とか全部自分で準備するのも大変だし、韓服なんて持ってないでしょ?」「このカフェの近くに茶礼出来るところがあるから、今日一緒に行ってみない?そんなに時間はかからないよ」って言いだして、明らかに宗教勧誘とは分かりつつ、人生初の宗教勧誘の機会だからもっと楽しみたい...でも多分行ったらやばいやつだよな...と葛藤

 


悩んでたら、ゲストハウスのゲストの人から「今日空港で財布やパスポートが入ったカバンがなくなった」って連絡が来て、もうそれどころではなくなって、結局茶礼はせず急いでゲストハウスに帰宅

 


家帰って調べてみたら、全く同じ手口で勧誘されてる人結構出てきて、韓国ではあるあるのようだった

 

 


思ったよりしょぼい宗教儀式は、恐らく参加のハードルを低くするためにあえてそうしてるっぽい


本当はもっと何回か会って警戒心が解けたくらいで誘われるものらしいが、外国人だから舐められたんだろう

 

1人で海外で生活するのが不安だから優しくしてくれる人について行くとでも思ったのだろうか

 

私はそんなに簡単な人間ではない、不安もない

 

 


宗教勧誘は韓国ではよくあることだから韓国人は相手にしてくれないようで、外国人を狙うことが多いらしい

 

 

 

男はあれだからと思って女の人に会ったけど、そんな簡単な話ではないよう

 

 


みんなもアプリですぐ会おうとしてくる人には性別年齢関係なく気をつけてね


私は韓国っぽい体験ができて大満足だけどね

 

 

 

 

 

 

 

優しさを履き違えてたから私は拗らせなんだわ

 

 

 

みんなも一度は考えてみたことがあると思う

恋人にするなら 内面 か 外見 かどちらを重視するかについて

 

 

 

私の勝手な感覚だけど、「内面」と答える人の方が多いんじゃないかと思う

 

 

 

まあ、一言に「イケメン」「優しい」と言ってもレベルがあるわけで、その程度によっても変わるんだろうけどさ

 

 

 

それって友達だった場合と恋人だった場合で答えは変わる?

 

 

 

 

 

 

 

この前、ドラッグストアの店員さんに一目惚れしたの

 

 

茶髪でパーマがかかってて、目が丸っこくて、背が高くて声が低かったの

 

 

私がレジに並んでて先頭に来たタイミングでレジを開けてくれて、その男性店員さんに対応してもらったんだけど

 

イケメンで超緊張した

でもちゃんと目合わせてお礼言った自分を褒めたい

 

 

家から歩いて片道40分くらいかかるところにあるドラッグストアだけど、常連になろうと思った

 

 

彼のためなら片道40分だって家のトイレより近く感じる

 

 

とりあえずルームメイトには、ドラッグストアで何か必要なものがあれば私が買ってくるから言ってねってメッセージ送っておいた

 

 

 

 

 

 

 

そのイケメンのいるドラッグストアに行った時、男友達と一緒にいたんだけど、その男友達はすごく私に優しくしてくれるの

 

 

私が「寿司が食べたい!」って言ったら近くのお寿司屋さん全部見て総合的にここがいいよって連れて行ってくれるし、「美術展行きたい!」って言ったらこの辺が面白そうだよって選択肢を3つくれる

 

 

近くの川でのんびりしようって言ったらしっかりしたビニールシートを担いで来てくれるし、屋台で売ってるチカチカ光るおもちゃが欲しいって言ったら買ってきてくれるの

 

 

その優しさをもらう度に、彼は私に優しくしてくれるなと思うの

 

 

 

 

 

でももし、その私が一目惚れしたイケメンと友達になれたとして、この優しさを私はもらえるのかと言うと、恐らくもらえない

 

 

私が友達になりたい!と思って彼に近づくから私がもっと彼に優しくしなきゃいけなくなると思う

 

 

私が死ぬほどお店を探して「ここに行こう!」って提案して、「いやいや、私が誘ったからさ!」って言って明るくお会計しちゃうんだろうな

 

 

私が準備して声をかけなきゃ始まらないし、私が一方的に近づきたいだけなのに相手にも「この子と遊ぶの楽しいな」と思ってもらうことを望んでるからさ

 

 

だから私がいっぱい優しくしてあげなきゃいけない

 

 

 

 

 

イケメンの彼と仲良くなってもきっと彼は私には優しくしてくれない

 

 

 

 

 

 

そう思ってたらさ、いっぱい優しくしてくれる見た目冴えない彼か、凄くイケメンだけど私に優しくはしてくれない彼か、どっちと友達をする方が私は幸せなんだろうと考え始めちゃったの

 

 

考えても難しくて、知り合いのお姉さんに「お姉さんはどっちですか?」って聞いてみたら、

 

「え、男の人って基本的に女の人に優しくない?」「優しくない人って結構キツくない?」

って言われたの

 

 

 

 

、、、

 

 

確かに。

 

男、女に限らず人は基本的にみんな優しい

 

 

失敗したらフォローしてくれるし、しんどいって言ったら心配してくれる

 

両手がいっぱいだったらドアを開けてくれるだろうし、私の話を頷きながら聞いてくれる

 

 

 

 

私の周りは優しい人がいっぱいいる

 

 

 

 

でも、私が思ってる優しいはそういう優しいじゃない

 

みんながもらえる優しいは優しいじゃなくて、私だけにてくれる優しいをなんて言うんだろう

 

誰かからは貰えて、誰かにはあげなきゃいけない優しい、、

 

 

 

って三日三晩考え続けてたどり着いたんだけど、私の思ってる優しいって配慮してくれるとか気にかけてくれるとかそう言う話じゃなくて、「特別扱い」してくれるか、「甘やかしてくれる」か、そう言うことだったっぽい

 

 

恋人や特別な人にするような扱いを私にしてくれる人のことを私は「優しい人」って認識してるみたい

 

 

だから私の中には明確に優しい人と、優しくしてくれない人が存在するの

 

 

ここで重要なのが、私の中では、優しくない人は単に意地悪で配慮がない人のことで、優しくしてくれない人は私に対して私が期待している特別扱いをしてくれない人のことを指してるみたいなの

 

 

 

恋人として選ぶなら、勿論両方がいい

 

イケメンで私を恋人として優しくしてくれる(特別扱いして甘やかしてくれる)人がいいけど、まあスクリーニング条件が厳しすぎるようなら顔面レベルでの緩和を検討するけど、友達だったらどっちの方がいいんだろう

 

 

 

どっちの方がいいって考え方も、どっちの方が私にメリットあると言うか、私の承認欲求が満たされるかという基準の上での話な訳で、

 

最初から最後まで相手のこととか考えずに、私が心地よく居られるための環境づくりの話だから、人のことぞんざいに扱うなって思わないで聞いてね

 

 

 

私が優しくしてまでイケメンと一緒にいることのメリットとしては、周りから「イケメンと一緒にいる」と言うことで羨ましがられることかな

 

文字で書くとそのくらいかと思うけど、私はゴリゴリのルッキズムに浸ってる民なので、友達との写真をストーリーに載せて「え!友達イケメンじゃん」ってコメントが来るだけでもニヤけちゃうし、カフェに入る時も電車に乗る時も周りの人からチラッと見られるだけで「彼のことイケメンと思ってるのかな」と思ってイケメンといる自分への優越感に浸ってしまう

 

 

自分がどうなったわけじゃないのに不思議だよねほんと

 

 

でもブランド物のバッグを持つ人も、高い時計をつける人も同じ感じゃないのかな?

 

身につけてるもので自分の価値を提示してるような

 

 

 

 

 

 

一方でだよ?

 

見た目は冴えないけど私が優しくされる事のメリットは、「彼は私と一緒にいるためにこんなに努力をしてくれるんだ」「彼にとって私はこの努力をしてでも会いたいと思う相手なんだ」と思えること

 

 

三者ではなく、相手からの満足が得られるの

 

 

 

 

 

 

何にも考えなくていい友達ももちろんいるけど、そこまで行けるのは本当に馬が合うというか、お互いに意識しないようなそんな人な訳で、

 

 

そんな友達だけと遊んでればいいじゃんって読みながら思った人もいると思うけど

 

うーん、、、

 

 

 

私に優しさをくれる人は、相手から私に近づいて来てるってことで

 

その人が近づいて来た時に考えちゃうんだよね、この人の優しさってなんだろうって

 

 

今回はちょうどそのタイミングでイケメンにも出会っちゃったから深く考えてみたんだけどさ

 

 

 

 

 

 

 

あと、関係ないかもしれないけど、イケメンと優しい人、恋人にするならどっち?って質問で「優しい人」って答える人の半分以上はその理由として「イケメンは3日で飽きる」って言うけど、全然飽きないから

 

 

顔がタイプなら、抜けてるところも可愛く見えるし、なんでも「イケメンなのに」って好転すると思うよ

 

まあ、その、恋人にするならって選択肢に入るくらいの常識とマナーを持ったイケメンであれば

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大人になったなと思う瞬間

 

 

 

乗ろうと思ってた電車に乗り遅れて、予定に遅れないように、次の電車より到着時間がたった10分しか変わらないのに1000円以上する特急券を買って特急券に乗るという選択をした瞬間

 

 

学生の頃、どうしても読めなかった文庫が好きになった、というかもう寧ろ文庫しか読めなくなった瞬間

(昔はビジュアル的に可愛いからハードカバー大好き人間だったけど、今は本がでかいと目を動かす量が増えるから疲れる

これは大人になるというより老いなのか、、、!?)

 

 

 

セックスがただの性欲から行われている行為じゃなくて、相手を知る為のコミュニケーションの一環で行われているという側面を理解した瞬間

 

そして私にはその感覚がなくて、コミュニケーションどころか愛情表現としてもマジョリティと同じ選択肢が取れないというのを知った瞬間

 

 

 

映画の中で、若者たちが「こんな大人になりたいんじゃなかった」「俺たちはもっと色々できるはずだ」ってお酒片手に夢たりあってるのを見て、若いなと思った瞬間

 

 

子供の頃大嫌いだった茄子が大好きになった瞬間

 

 

デュルケームの自殺論で中間集団がないと人は死ぬと言うのが、ただ生きていくために仲間が必要だとということじゃなくて、今頑張ってることに対してフィードバックがないと、一度立ち止まってしまうともう動けなくなってしまうってことだと気づいた瞬間

 

 

母に1.5万円する香水をプレゼントした瞬間

(なんでもない日に、この匂いお母さん好きそうだなと思ってちょっと贅沢なプレゼントをした、何かしらの記念日や人生の節目だったらもう少し盛大にするよ、ちゃんと)

 

 

大学の授業が面白くなって、単位必要なくなっても色んな分野の授業を沢山聞きに行った瞬間

(最終レポートは提出できなくて単位自体はほとんど落としたけど、その教室の中で1番真剣に先生の講義聞いてた自信はある)

 

 

日本酒の美味さを知った瞬間

なんならもう水より飲みやすいと思った瞬間

 

 

1人で映画も美術館も中華街の食べ歩きもできるようになった瞬間

なんなら1人の方が楽しいじゃんって気づいた瞬間

(映画に関してはじっくり余韻に浸りたいタイプだから観賞後当分は誰にも話しかけられたくないし、他人がお薦めしてくる映画は私には刺さりにくい)

 

 

休日の素晴らしさを知った瞬間

 

 

年収500万円がどれだけ高いかを知った瞬間

 

 

学生の時に本を買うのが好きで書き溜めて読み切れていない本を読破している瞬間

(高校生の頃はビジネス書にハマってたみたいで、面白そうなタイトルのついたビジネス書が押入れからたくさん出てきた。「ハマってた」って言うのは「買う」のがね、「読む」のがじゃないよ)

 

 

新人アイドル、人気俳優の年齢を見て年上だった時に驚くようになった瞬間

 

 

 

 

自分のことが好きになれた瞬間

というか、多分自分の機嫌の取り方をマスターした瞬間

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんで私は国語が苦手なの

 

 

 

私は本が好きで中学高校生の時はずっと小説を読んでた

 

 

うちの家は早く寝ることに割とうるさい家庭だったから、明るいリビングじゃなくて、夜11時くらいには寝るふりして部屋に入って、こっそり徹夜で本読んでたのをすごく思い出す

 

 

特に湊かなえさんの本はやめ時が分かんなくて、いっぺんに全部読んじゃうから徹夜で読んでたイメージが強い

 

 

今もたまに本を読む

 

 

最近は小説よりは新書みたいなのが好き

 

よく分かんないところで、よく分かんないことを考えて、みんながよく分かるように言語化して、よく分かんない分野を布教している人たちがいると面白いし

 

私が知らない世界はまだまだあるんだと、当たり前だけど実感させられる

 

 

そんなことをそこまで深く考える変態がいるのかと思うとワクワクもする

 

 

最近は哲学の論文集を図書館で読んだ

 

図書館というコストなく本を選び放題な環境でもないと絶対手に取らないであろう本を読むのが最近の趣味で

 

 

 

本はよく読むんだけど、国語だけはどうしても小学生の頃から苦手で、「筆者の考え」もそうだし、「それに伴い」の『それ』もそうだし、登場人物の「返事の真意」も、なーーーんもわからない

 

候補はいくつも出てくるのにどれだけ考えても正解は分からない

 

でもなー、でもなーって世界で1番生産性のない時間をすごすことになる

 

 

本を読めば国語が上手になるは嘘だし、多分漢字が上手になるも嘘

 

全部ダウト!

(漢字は読めるようにはなるかもだけどね)

 

 

 

私は国語ができないことで今も困ってる

 

掛け算ができないのも結構大変かもだけど、国語ができないのは多分みんなが思ってるより大変

 

 

インターンの業務中の会話は基本思考プロセスや進捗状況を残しておくためにチャットでするし、人との会話も直接会って話す文字数より多分ラインで適当に話してる文字数の方が多分多い

 

直接会って、表情や動作を見て、「あ、この人は」って本心を見るのはすごく得意なの

病んじゃうくらい勘づくのは早い方なの

 

 

でも文字になると主語も分からないし、じゃあ私はどうすればいいの?1から5まで全部しなきゃ?2と3だけして4はちょっと修正すればいい?

って大混乱

 

それは肯定?否定?私はどう返事するのが正解?って

 

 

 

 

そしてよく返事を間違える

 

 

 

返事を間違えたら相手が噛み砕いてもう一度同じメッセージを送ってくれる

 

 

私は、「あ、そっちの意味か〜」ってなる

 

恥ずかしい時もあるし悔しい時もあるし、「その発想はなかったわ」と私の手持ちのコミュニケーションの少なさを実感することもある

 

 

もっと国語が上手だったらモテてたかもしれないし、友達だって100万人も屁じゃなかったかもしれない、チャットに悩む時間はもっと他のことに使えたかもしれないし、意図を汲み取りすぎてどの仕事も先回りで終わらせられてたかもしれない

 

 

 

でも反対に国語ができなくてよかったと思うこともあって、逆に自分が文字で自分を表現する時に、多分、より自分の気持ちに近い言葉選びや表現を探してくるから、日本語と使い方が丁寧だと思う

 

 

相手には悩まなくていい日本語を使うように意識している

 

指示語を使わないことや、主語をちゃんと入れこととか

 

 

免許取り立ての運転初心者が慎重に運転するのと同じだよね多分、私は下手くそだって自負がある方が丁寧に接することができる

 

 

丁寧な日本語を使ってると一生懸命頑張る真面目な子に見える、崩した日本語を使うより品のいい子に見える

 

 

 

結果、期待していた以上のメリット受けちゃってるのかもね

 

 

 

 

 

 

アヒルボートに乗ってる人はほぼアヒル

 

 

 

最近井の頭公園を散歩してたんだけどさ、月曜日の昼なのにアヒルボートに乗ってる人がすごく多くて!

 

平日昼間はみんな苦しい時間って勝手に思い込んでたことにすごく反省した

 

だから平日昼間に私は楽しく遊ぶことができなかったのかと思い知った

 

 

 

 

ヒルボートに乗ってる人たちを眺めながらカフェラテ飲んで考え事してたら目の前にカモが浮いてたの

 

 

その日は暖かくてカモも多かったの

 

 

カモは何を求めて水の上に浮いて、何を警戒して辺りをキョロキョロして、どこを目指して足で水を掻いてるんだろう

 

24時間、何も考えず浮いてるだけでは長過ぎないか?

人生振り返るものもないんじゃないのか?

と思ってたら

 

 

ヒルボートに乗ってる人たちも同じじゃない?と思ったの

 

 

目的地もなく、なんとなくペダルが目の前にあるから漕いで、何も考えずに水に浮いてるのかなって

 

 

ヒルもカモも見たようなもんだし、アヒルの疑似体験じゃんって

 

 

 

 

でも、そう思ってたら目の前を2匹のアヒルボートが通ったの

 

1台はパパと子供、もう1台はママと子供

が乗ったボートだった

 

 

パパは、ママのボートに負けるまいとママのボートを見ながら必死にペダル漕いでて、ママもそれを笑いながら見て消費カロリーが期待できそうなくらいの勢いでペダルを漕いでた

 

子供たちはレースだ!って喜んでてさ、

 

 

 

 

それを見てこの人たちはこれが非日常なんだと思った

 

だからアヒルボートに乗ってる人たちは、ただ日常として水に浮いているカモとは違って、非日常として水に浮いているんだって気づいた

 

じゃあカモと同じではないのかと思いながら、私の思考もまだまだ甘いなと反省して、ちょっと大きめの一口でカフェオレを飲んだ

 

 

 

まあ私はアヒルボートに乗ったことがないから側から見た感想でしかないんだけど

 

 

 

P.S

てか井の頭公園好きすぎて5周は歩けるんだけど

今度誰か散歩しよ

 

 

 

 

男性美容の普及

 

 

 

 

最近さ、みんな「多様性」に踊らされ過ぎているのではないかと思う

 

「多様性」と題して個人の自由の幅が広がることは、元々「ある程度何してもいいよ(放っといてあげるよ)」って事だったはずなのに、「多様性」の呪縛に囚われている今、「あの人のどの行動も否定してはダメだ!」「価値観を認めなきゃ!」という脅迫としてむしろ無理に意識向けるようになっているのではないだろうか

 

 

 

その例として、最近男性美容が注目されているが

 

もともと女性がメインであったコスメや美容医療などの美容市場に男性向け商品が広がってきているのは「多様性」、「ジェンダーレス」の考え方が普及しているのではなくて、ただ日本の経済状況が良くない中、市場拡大の目的で新しい市場として目をつけられたのが「男性」だったんじゃないかと思う

 

 

男性向け美容商品の普及は、男性に美しくなるという選択肢を与えるものではなく、「美」で縛り付ける範囲の拡大を意味している気がしてならない

 

 

男性側は新しい権利が与えられた気がして、元から美容に興味があった男性からすると興味を持つことへの偏見が軽減される気がして、初めは気分が良いものなのかもしれないが、企業からすると市場が広がったぜラッキーくらいの思惑なのだろう

 

 

それも、「男性美容の高まり」に賛同するのは主に女性な気がする

女性向けに「男性も美容に関心を持つことはいいことですよね?」とメッセージを発信し、「男性も美容に対して自由になっていい」「女性はこのくらいしてるから男性もそこまでは必要な時代だ」と言う意見を社会やメディアが吸い上げることで、多くの男性は望んでもいないまま美容の標的にされているのではないだろうか

 

抵抗感や義務感を煽る言葉を使って男性美容を語っている訳ではないから、男性も男性で「ああ、そうか。」と簡単に受け入れているような気がするしね

 

 

 

普及した男性美容は、流行となり文化となり呪縛となっていくのではないかと思う

 

初めは「あなたが美を望むことは間違っていない」「あなたも美を楽しむ権利がある」と言うやや肯定から入りつつ、それが世論として社会の流れになれば「美を望む」ことが流行りとなり商品・サービスから文化が生まれ、いつしか抜け出せないようになってしまうのではないか

 

 

これが洗脳というやつなんじゃ、、?

 

「してもいいよ」の押し付けが「しなければならない」のプレッシャーに変換されていく、しかもその流れを作り出すのは恐らくより多くの人が美を追求することで利益を得る企業、団体であるから、自分が有利な流れを作ってからは敢えて歯止めをかけたりはしないだろう

 

 

この流れを「多様性」と片付けてしまえば誰が反対できるのだろう

多様性に反対するだけで誰かの権利を剥奪するってことになるからほんと怖い言葉だね

 

 

しかもさらに怖いのが、男性は特に「美容」を自分をよく見せるものではなく、悪く見せないもの、身だしなみや清潔感一環として捉えている節がある

 

f:id:knping:20221025193521j:image

SHIBUYA109 lab.

「イマドキ男子の美容に対する意識」

 

 

女性文化だった美容を男性である自分が取り入れることを正当化するため、「身だしなみ」という社会で生きていく上で必要なこととして受け入れされる、見せる事でより多くの納得を得ようとしていのだろう

 

実際それらしい言葉ではあるし、おまけに「多様性」って盾まで持たれちゃ誰も立ち向かえないしね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お父さんの美容整形には価値がないんだって

 

 

 

私はルッキズムかつフェミニズムにドブドブに浸かっているから卒論では美容整形と現代社会に関することを書こうと思って(来年4月卒業なのにまだ書こうと思ってるところで止まってるのなかなかやばいけど今日のところは許して)、美容整形に関してネットサーフィンしてたらこんな調査見つけたんだけどさ、

f:id:knping:20221023002825j:image

共立美容外科調べ

美容整形と「二重」に関する意識調査

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000005.000085443.html

 

この設問がすごい面白いなと思って、

 

 

友達が整形したい時には応援するのに父親が整形したい時には全然応援しない人が多いんだって

 

何で整形したい人が変わったら応援とか反対とか(応援の反対が反対なのかはリリース内では言及されてなかったけど。応援の反対が無関心とかだったらちょっと話変わるかも)反応を変えるのか気になる

 

 

美容整形は大体

「今より更に綺麗になるもの」(ゼロをプラスにするもの)

「コンプレックスを無くすもの」(マイナスをゼロにするもの)

の2パターンで考えられてると思うんだけど

この結果を見る限り今の美容整形の印象は前者ぽい

 

 

友達が美容整形を受けて更に綺麗になるのは、お金と失敗のリスクを鑑みてもリターンがあると思うから応援するけど、親、特に父親はそのリターンに価値を見出せないから反対するってこと?

 

コンプレックスを解消するだけなら誰でも応援すると思うんだけど

 

もしくは「美容整形」は若者文化だと認識されてるから年配の人がそこに踏み込もうとするのを恥ずかしいから止めるってこと?

お父さんが美容整形するのはおじさんが「🥺」日常使いするのと同じような印象を持ってるってことって社会は受け止めてるの?

 

 

まさか自分の父親はもう既に完璧イケメン顔面国宝チャウヌだから美容整形の必要がないってことじゃないよね?

もしそうだったとしてもそれが本人が美容整形を望んだ時に止める理由にはならないよね、

 

 

もっと深く考えたいが今は思ったより頭が働きたくなさそうだから後日追記しながらもっとちゃんと自分の思うことを整理したい

 

 

少なくとも「美容整形」は誰がするかによって価値が変わってきて、年配の男性にとっては価値が低いと見られてるんじゃないかと思う

 

「とっては」ってのは

年配の男性が考える美容整形の価値じゃなくて

年配の男性が美容整形をすることを社会が見た時の価値のことね

 

 

これってすごくルッキズムの思想を持つ人が多い証拠だと思う

 

「若くて綺麗」が良しとされる社会で年配はもう綺麗になるために努力しなくていいと思われてるってことなのかな?しかも男性だから尚更

 

 

やな世の中だね〜

 

 

ルッキズムの対象は主に女性に寄りがちだからメイクと同じように美容整形がまだ女性市場の文化として受け入れられてるは理解できるし仕方ないことだと思うし、男性も同じようにルッキズムを向けられろとは思わない

だから男性がよく知らない美容整形に抵抗があって周囲の人が美容整形する時に応援できないのはわかるけど、女の人もルッキズムを女の人へしか向けない(若干極端ではあるけど)んだね

ルッキズムが女性に向けられてる人が潜在意識の中にあってそれを不思議にも思っていないような印象

 

怖いよ

 

 

まあ別にそれが悪いとかそういう話じゃないんだけど社会の片鱗を感じたから共有までって感じ